ミトリダテス戦争を終結させ、東方諸国を征服し再編を成し遂げたポンペイウスは、意気揚々とイタリアへ帰還する。しかしポンペイウスを待っていたのは元老院からの冷たい仕打ちだった。
そこでポンペイウスはカエサルの提案にのり、クラッススとともに三頭同盟を結成。カエサルを執政官に就任させる代わりに自分の部下に恩賞を与え、東方諸国の王たちと交わした盟約を守って面目を保つことができた。
ルッカ会談で三頭同盟を強化し、このまま3人がローマ政界を牛耳るかに思われた。しかしカエサルとの同盟の証だった妻ユリアの死や、パルティア戦争で大敗したクラッススの戦死により三頭同盟は崩れた。
いままで異例のアウトサイダーだったポンペイウスだが、ここにきてローマ政界――つまり元老院――からの名声を強く意識し始める。このポンペイウスの変化により、次第にカエサルとの間に溝ができるのだった。
ポンペイウス、3回目の執政官に就任する
クロディウスの死とミロ追放
前52年1月18日、これまでカエサル不在のローマで、カエサルの意思を(過激ではあるが)実行してきたクロディウスが、ミロとの抗争で殺された。
クロディウスに対抗して、反カエサル派が支持した人物。前57年の護民官。前54年法務官。クロディウスがローマ市街で暴力団まがいの徒党を組んでいたので、ミロも同じように自警団と称した暴力集団を組織した。
クロディウスとミロは互いの護衛隊を引き連れ、アッピア街道で「偶然」出会ったらしい。彼らの護衛隊同士が乱闘を始めるとクロディウスも巻き込まれて重症を負い、近くの家に身を隠した。しかしミロの命令でクロディウスはその家から引きずりだされ、殺されてしまったのだ。
ところでミロは前52年の執政官選挙に立候補し当選を狙っていた。彼は民衆に催し物をするなどして人気があったため、執政官に当選する可能性は十分あったのである。
ところが「ローマ市の暴力団組長」クロディウスを無理やり引きずり出して殺してしまった事により、ミロに有罪判決がくだされる。ミロはローマ市からマッシリアへと亡命した。
ちなみにマッシリアにいたミロは後年、カエサルがマッシリアを攻めたときに防衛戦で戦死している。
単独執政官
クロディウスとミロの抗争は、ただでさえ混乱していたローマ政界の混迷をさらに加速させた。また立候補者の相次ぐ選挙違反により前52年は執政官が存在しない異例の事態となっていた。
日本で例えるなら、デモと与党の混乱で総理大臣が全く決まらないようなものだ。
そこでローマの混乱を収拾するため、前52年2月25日、ポンペイウスは特例として同僚のいない「単独」の執政官に選ばれた。ちなみに非常事態時には『独裁官』が選ばれていたが、もともと一人の権力集中を嫌うローマ人の気質に加え、スッラが独裁官時代に行った恐怖政治が元老院議員たちの脳裏をよぎったのだろう。
そこでお茶を濁すような形でポンペイウスを「法の範囲内」である執政官就任という形に落ち着かせたようだ。ポンペイウスも元老院の意向を尊重した。
ポンペイウスは単独執政官になると、問題となっていたミロの裁判と選挙違反法を成立させ、ローマの秩序回復に努めていく。そして5ヶ月後の8月1日、同僚執政官を任命すると、ローマの政治を通常の状態に戻した。
新妻コルネリアと義父メテッルス・スキピオ
このときポンペイウスが同僚執政官に選んだ人物は、クィントゥス・メテッルス・ピウス・スキピオ。このメテッルス・スキピオとは何者か。
ポンペイウスは単独執政官に選ばれてすぐに、コルネリアという女性と結婚した。コルネリアはクラッススの息子プブリウスの妻だったが、カルラエの戦いで父とともに亡くなったため、同じく妻を亡くしたポンペイウスが貰い受けた。このコルネリアの父こそメテッルスである。
カエサルは娘ユリアが亡くなったあと、彼の妹の孫オクタウィアをポンペイウスの妻にと提案したが、ポンペイウスははっきりと拒否をしている。このことからも、この時期ポンペイウスがカエサルとの溝が広がっていたことが伺える。
ちなみにオクタウィアとの婚姻についてはドラマ『ROME』 でも描かれているので、興味のある方はご覧いただくといいだろう。
反カエサル派への道
さてメテッルスは元老院の重鎮であり反カエサル派の人物でもあった。その証拠として選挙違反の法律に補完する形で、次の法がポンペイウスとメテッルスによって定められた。
- 執政官立候補のため、ローマ市で本人が直接手続きをしなければならない
- 属州総督が後任の到着前に属州を離れた場合、元老院は代理の人物を総督に任命できる
- 属州総督の任期終了後、再び総督職に就くには5年の間をあける
加えた条項の表向きの理由は、当時から問題となっていた属州統治時の職権乱用を防ぐため、とされている。しかし項目を加えたことで一番困るのはカエサルだった。
ところが同じ属州総督でも、ポンペイウスには両スペインの命令権が、5年間延長されていた。それに加えてポンペイウスの軍を維持するために、年間600万デナリウスが国家から支払われることが元老院で決まっていた。つまりポンペイウスはカエサルと違い、特権を維持したままとなったのだ。
元老院の重鎮と結びつき、ローマ政界に影響力を持ちたいポンペイウス。
かたや寡頭政を堅持し、打倒カエサルに燃える反カエサル派のメンバーたち。
両者の思惑は互いに結びつき、ポンペイウスはますますカエサルから遠ざかって行くこととなった。
ポンペイウス、カエサルと対立する
カエサル、ガリアを掌握する
前52年ガリアで大規模な対ローマ運動、いわゆるガリア総決起が起こった。カエサルは、ウェルチンジェトリクス率いるガリア部族の連合軍をアレシアの戦いで破ると、前51年までにほぼガリアを掌握することに成功する。
アレシアの戦いについてはユリウス・カエサルⅤ ―ガリア属州総督就任からルビコン川を渡るまで―のガリア総決起で詳しく説明しているので、興味のある方は読んでいただくといいだろう。
ガリア部族との戦いを終えたカエサルは、ガリア・キサルピナ(アルプス以南、ルビコン川以北)にとどまり、引き続き前48年まで属州総督職の延長を認めさせる交渉を続けていた。
しかし元老院はカエサルの要求を拒否する。それどころか前51年の執政官マルケルスは、直ちにガリア属州の新任総督を送ることを提案。これは前50年の3月1日までカエサルの属州総督職が法で守られているとし、カエサル派の護民官が拒否権を発動して食い止めた。
またマルケルスは、カエサルがコモの植民者に与えた市民権を無効にすることも提案したが、同じく護民官が拒否。このようにカエサルと元老院の間で激しい政治的駆け引きが展開されていた。
護民官クリオ
とはいえカエサルの総督職任期終了は目の前に迫っている。そこでカエサルは味方となる護民官を、三頭政治に反対していた元老院側から引き抜くという荒業をやってのけた。
護民官の名はガイウス・クリオ。彼は、前50年2月まで鞍替えしたことなどお首にも出さず反カエサルを装っていた。ところが前50年3月1日にいよいよ反カエサル派の面々が攻撃に移る段階で、彼らに反対する意向を示したのである。
時の執政官マルケルスは、カエサルの属州に後任を送ることを提案したが、クリオは拒否権を発動する。それどころかポンペイウスに対して次の要求をした。それはポンペイウスがカエサルにならう、つまり軍隊を解散し属州総督職から退くのであれば、マルケルスの提案を喜んで受けよう、というものだった。
この時ポンペイウスは病気療養のためカンパニアにこもっており、結局両者の軍隊解散は実現せず、カエサルの属州総督解任問題は先送りとなったのである。
パルティア問題
またこのころ、ローマの東ではパルティアとの問題が浮上していた。
妻ユリアとクラッススの死でも触れたとおり、前53年に大軍を率いてパルティア討伐に赴いたクラッススが大敗し戦死した。この機に乗じてパルティア王オロデスはローマ領を侵略するため、シリア属州に攻め込んできたのだ。
この戦いで活躍したのが、クラッススの下で財務官(副官)をしていたカッシウス・ロンギヌス。彼は少数の兵でパルティアの攻撃を再三受けながらも撃退に成功していた。
しかし前50年の段階でまたもパルティアが不穏な動きを示したため、ポンペイウスはシリアへ2個軍団を送ることを提案した。この2個軍団はポンペイウス、カエサルがそれぞれ1個軍団ずつ受け持つ予定だった。
ところが、である。ポンペイウスはカエサルに対して、前53年当時ガリア戦争で使う1個軍団を貸していた。今回パルティアへ派兵するにあたり、その貸していた1個軍団の返還を要求したのである。つまりカエサルは2個軍団を一人で負担する、ということだった。
カエサルはこの要求に反対することはなく、ガリア・キサルピナにいた軍を送り出したのである。しかしこの軍はシリアに送られることはなく、なんとカプアに連れて行かれた。実質カエサルから2個軍団を奪い、自分たちのものにしてしまったのだ。
元老院の非常事態宣言
いまやポンペイウスは、カエサルを貶めようとする元老院議員のお偉方たちと完全に結びついていた。
その年の12月にはカプアにいた2個軍団の指揮権を執政官から与えられ、さらに兵を徴募するよう要請されている。ポンペイウスは執政官に「これ以上のうまい手が打てなかったら」自分がことを引き受ける、つまりカエサルから国を守る、と答えた。
それでもガリアの地からポンペイウスとの交渉の道を、カエサルは護民官を通じて探っていた。
まずはポンペイウスとカエサル両方の軍指揮権を同時に放棄するよう求める。それが流されると今度はカエサルが2個軍団のみでガリア・キサルピナ(アルプス以南の北イタリア)とイリュリクム(スロベニアやクロアチアなど、アドリア海西岸地域)のみ統治する。その代わりポンペイウスは軍を解散しなくてもいいので任地のスペインへと赴くよう要求した。
これもポンペイウスの了承を得られなかったので、最後はイリュリクムの統治と1個軍団だけ率いるところまで、カエサルは妥協したのである。結局カエサルは、属州総督職と執政官就任の空白期間を最も恐れていたのだ。
ポンペイウスはこの妥協案に、すんでのところまで気持ちが傾いていた。しかしカエサル失脚を狙う反カエサル派の面々が拒否。
それどころか、前49年1月7日には元老院が(カエサルに対する)国家保護のために独裁官的な権限を執政官や法務官、さらにポンペイウスにたいして付与することを決める。これは実質的な非常事態宣言だった。
カエサル派の護民官たちはローマ市に居場所を見つけることができず、カエサルの下へと旅立っていったのである。
ポンペイウスの勝算
1月7日ににカエサルと完全決裂を迎えたポンペイウス。彼はもしカエサルがローマに攻め込んできたとして、イタリアで迎え撃てる準備は整っていたのだろうか。
まずカエサルから奪った2個軍団がポンペイウスの指揮下に入ったことは、すでに述べたとおりだ。彼はこの軍団をアプリアへと連れて行き、冬営するよう命令を出している。
しかしこの軍はつい先日までカエサルとともに過ごしてきた兵で構成されているのである。ポンペイウスの指揮に命がけで従ってくれるかは、はなはだ疑問だった。
しかしポンペイウスには、もう一つ期待しているものがあった。それがカエサルのもとにいた、ティトゥス・ラビエヌスである。彼がカエサルの下を去り、ポンペイウス側につくことがわかったのだ。
ポンペイウスのクリエンテス(被保護民)でありながら、親友カエサルの下でガリア戦争をともに戦った人物。ガリア戦争ではカエサルの右腕どころか、カエサル不在時には全責任を引き受けた、いわば半身とも言える存在だった。
ラビエヌスがどのような人物だったかは、ティトゥス・ラビエヌス ―盟友カエサルの元を去り、一人でルビコン川を渡った不器用な武将―を参考にしてほしい。
実戦からしばらく遠ざかっていたポンペイウスにとって、ガリアという戦争の現場にいた(そして抜群に有能な)将軍の存在は、非常に頼もしかったに違いない。
さらに元老院はカエサルとの戦争に備え、全イタリアで13万人までベテラン兵の徴集が決められた。この徴集にかかる費用も、ポンペイウスに割り当てられる。
もっともポンペイウスは元老院に頼らずとも、自分がどれだけ影響力のある人間かをわかっていた。ある時、元老院議員たちがポンペイウスに、ローマをどのように防ぐか尋ねたところ、ポンペイウスは次のように言った。
私がイタリアで大地を一踏みすれば、歩兵や騎兵たちが躍り出てくるだろう
ローマ政治家伝Ⅱ ポンペイウス 第11章 内乱の勃発
とはいえこのときはまだ、カエサルが敢えて戦争に打って出ることなど考えていなかったのである。
内乱勃発とイタリア放棄
カエサル、ルビコン川を渡る
ところがカエサルは、ポンペイウスの予想をはるかに超えた早さで事を起こす。1月10日には先行してルビコン川を渡った5個大隊(1個軍団の半分)がアリミヌム(現リミニ)の町を占領し、カエサル自身もルビコン川を渡ったのである。
ルビコン川とは属州と本国を分ける国境ラインであり、属州総督が軍を率いてここを超えると国法を犯すことになるのだ。ルビコン川についてはルビコン川 ―わずか1mの川幅を渡ることをカエサルが躊躇した意味とは―でも書いているので、興味のある方はご覧いただければ幸いだ。
1月17日にはカエサルがアンコナ(アドリア海沿いの町。イタリア半島を足に例えれば、ふくらはぎの上の方)に進撃中であり、カエサル配下の将で護民官アントニウスがアレッティウムを占領したとの報も飛び込んできた。
エトルリア(ルビコン川以南の北イタリア)で兵を徴集していた元老院側の将軍も、カエサルの進撃の早さに尻尾を巻いて逃げるしかなかった。
ポンペイウス、ローマ市を放棄する
1月14日か15日に、
カエサル、ルビコン川を渡る
との報を聞いた反カエサル派の議員たちは動揺し、ポンペイウスのもとに集まってきた。
彼らはポンペイウスに、どれだけの軍勢が使えるのか聞いた。それに対しポンペイウスは、軍備の整っているのはアプリアの2個軍団だけだが、3万人を集める予定だと説明する。
この説明に議員は失望し、彼らの一人からは皮肉交じりに
ポンペイウスは今でも大地を踏んで見せるべきだ
と叫んだものもいたようだ。
いずれにしてもカエサルの進撃が予想外に早い上に軍備が整っていない以上、ローマ市での防衛は不可能だとポンペイウスは考えた。そこで彼はローマ市を退去しカプアへと向かうことに決めた。
もちろん反カエサル派の面々も、ポンペイウスに従ってローマ市を離れた。ローマ市に残る議員や政務官は誰であろうと自分の敵となるだろう、とポンペイウスは宣言していたのである。
ラビエヌスの合流とカエサルとの交渉
カエサルのルビコン渡河以来、暗い報告続きだったポンペイウスにも、一筋の光明が指した。カエサルの筆頭副官だったラビエヌスと1月22日にカプア近くで合流できたのだ。
ポンペイウスはラビエヌスから、カエサルが1個軍団を率いているにすぎないとの情報を得た。そこで彼らは2個軍団が駐屯しているアプリアに向かい、この軍と新たに徴集した兵たちでカエサルを食い止める算段を立てた。
1月23日には、和平の道を探るためにルビコン川渡河直後カエサルの下へ送った使者が、返書を携えてやってきた。その返書のなかで、カエサルは再び
- ポンペイウスのスペイン行きとイタリアの双方の軍解散
- カエサルの属州総督辞任と執政官立候補
が要求されていた。
ポンペイウスは、ともにローマを離れていた執政官たちと協議を重ねたあと、次の返事をもたせて使者をカエサルのもとに送り返す。
- 基本的に合意する
- ただし先にカエサルが属州以外の領地(つまりイタリアの占領地)を明け渡すこと
ことがここに至った以上、カエサルはこの返答に納得がいかなかった。さらにカエサルはポンペイウスとの個人的会談を望んでいたが、そのことに対しても返答がなかったことで失望していた。
結局両者の間で合意には至らず、カエサルはそのままピケヌムへと軍をすすめることになる。
ポンペイウスの誤算
2月1日、カエサルから奪った2個軍団を待機させているアプリア地方のルケリア(現ルチェーラ)に、ポンペイウスとラビエヌスは到着した。本来ならこの軍団でピケヌムへ向かい、カエサルの進撃を阻む予定だった。
ところが元がカエサル子飼いの軍団だっただけに、彼らを戦場につれていってもカエサルに寝返る心配があった。そこで2人は予定を急遽変更し、この兵たちをカエサルに当てず、新たな徴募兵を使って北アプリアで防ぐ方向にシフトした。
その間にもカエサルはピケヌムに進軍し、この地で新たに第12軍団と合流。これでカエサル率いる兵は2個軍団に増加した。
さらにポンペイウスのもとに悪い知らせが入る。2月の半ばにポンペイウス側の将軍アヘノバルブスの立てこもるコルフィニウムが、カエサルに包囲されてしまい陥落したのだ。
ポンペイウスは再三アヘノバルブスに勝手な行動をせず、自分と合流するよう要請していた。しかしこのときポンペイウスの命令権は他の司令官たちと同格であり、無理強いすることができなかったのである。
アヘノバルブスはカエサルに許される、いわゆる「カエサルの寛容」によってポンペイウスのもとに逃れる事ができた。だが彼の率いる1個軍団を失ったこと、さらにカエサル軍にあらたな兵や寝返りで新戦力が加わり、合計6個軍団もの大兵力となった。
ルビコン川を渡った当初はポンペイウスの兵力がカエサルを上回っていたにも関わらず、いまやカエサルのほうがポンペイウスをはるかに凌ぐ数に膨れ上がったのである。
ポンペイウス、アドリア海を渡る
完全に軍事力の天秤はカエサルへと傾いている。そこでポンペイウスはイタリアでカエサルを食い止める戦略を放棄することにした。ではどうするか。
ポンペイウスはギリシアに向かうことにしたのである。まず、なんと言ってもポンペイウスは地中海の制海権を握っているため、カエサルがイタリアとギリシアを隔てるアドリア海を容易に渡ってこれないと考えた。
さらにギリシアより東方には、ポンペイウス勢力圏とも呼べるクリエンテスたちからの支援を期待できる。イタリアを一時放棄したとしても、捲土重来を十分に狙うことができるのだ。
2月20日、ポンペイウスはカヌシウムを出発し、イタリアのかかとに当たる港町ブルンディシウムへと出発。3月4日に到着すると、ローマからともに逃げてきた元老院議員や両執政官、さらに30個大隊(おおよそ3個軍団)を対岸のデュッラキウム(現アルバニアのデュラス)に向けて出発させた。
すべての兵が乗船するには船が足りないため、ポンペイウスはブルンディシウムに残りカエサルの攻撃に備えた。そこに3月9日、カエサルが到着したのである。カエサルはポンペイウスを捕らえて一気に決着をつけたかったが、ポンペイウスの巧みな抵抗にあい、なかなか崩すことはできない。
結局9隻の船がデュッラキウムから戻ってくると、ポンペイウスは軍勢を乗船させて出航した。彼は無事乗船できるように、港へと通じる道をバリケードと壕で守り、選抜兵をしんがりにして安全を確保したのである。
ポンペイウスの巧みな撤退戦で、目の前の敵が出港するのをカエサルはただ見守るしかなかった。カエサルの唯一の成果は、防波堤に引っかかった2隻の輸送船だけだった。
ポンペイウスの映像作品なら、古代ローマ時代を舞台にしたHBO&BBC共同製作の海外ドラマ「ROME」をオススメする。
総予算200億円で制作された映像は桁違いのスケールで、忠実に古代ローマ時代を再現。ガリア戦争も大詰めから始まるドラマでは、手に汗握る陰謀劇あり、女たちの野望あり。もちろんお色気シーンも満載。
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