ローマと地中海の覇権をかけて争った、海上帝国カルタゴ。しかしカルタゴのことを高校の世界史レベルでは、ほんの少ししか触れないのではないだろうか。
この記事では、
- カルタゴがフェニキアの一植民都市から発展を遂げ、地中海の女王と呼ばれるまでになった興隆期
- 交易のライバル、ギリシア国家に一度は敗れるも、国政を改革して見事に復活した復興期
- ピュロス戦争を経て、地中海の新興国家として隆興するローマと死闘を演じたポエニ戦争
を描いた記事たちをまとめてみた。
これらを読むことで、カルタゴがどのような国家だったのか、またローマとの戦いを通じてどのように滅んだのかを知ることができるだろう。
タイトル下の画像は、damian entwistle / CC BY-SAから拝借しました。
カルタゴ建国からピュロス戦争まで
カルタゴ略史前編 建国からヒメラの戦いまで
1頭の牛の皮一枚で覆えるだけの土地がほしい
フェニキア人の母市テュロスから脱出した一団は、長い航海を経て北アフリカのある土地へたどり着く。そこでこの一団を率いた女王、エリッサの知恵と機転により、先住民から牛皮を大きく引き伸ばした一枚分の土地、ビュルサの丘を手に入れた。そして彼らはカルタゴ市を建設し、やがて地中海に交易ネットワークを築いていく――。
この記事では、建国伝説からフェニキア系諸都市との関係、交易ネットワークを広げていく過程でのギリシア系都市との抗争、そして海上帝国として黄金期を築き上げたあと、ヒメラの戦いでそのすべてが崩れ去るまでを描く。
カルタゴ略史後編 国政大改革からアガトクレスのアフリカ侵攻まで
ヒメラの戦いで大敗したあと、カルタゴは交易ネットワークという、いわば点と点でつなぐ植民地計画を見直し、自らの都市後背にある、豊かな北アフリカの土地の支配へと方向転換をはかった。また、それまでの王朝的な国家運営をみなおし、国政の大改革に着手する。
この記事では、ヒメラの大敗を反省したカルタゴの変革結果である、国政や文化がどのようなものだったのかを解説するとともに、地中海のライバル的存在であるギリシア諸都市と、シチリアをめぐる抗争を描く。また、同時にのちのポエニ戦争で露呈する、カルタゴ支配の構造的弱点も指摘する。
ピュロス戦争
前3世紀初頭、ローマの足音が徐々に南イタリアに響いてくる中、ギリシア都市タラスはローマに対抗するため、エペイロスの王ピュロスに救援を要請。アレクサンドロス大王の後継を自認するピュロスは、タラス市の要請を受けると、大軍勢を率いてイタリアへと上陸した。戦術の天才と謳われたエペイロスの王とローマとの対決は果たして――。
この記事では、ローマとヘレニズム国家が初めて対決した様子を描くとともに、その後シュラクサイの要請に従って、シチリア島へと舞台を移したピュロスと、島の西側を支配するカルタゴとの戦いをも、同時に描いていく。
ポエニ戦争
第一次ポエニ戦争
仕事を失ったカンパニアの傭兵集団は、シチリアのメッセネ市を乗っ取り、周辺を荒らし回る。しかしシュラクサイに攻め込まれたことで窮地に立たされ、彼らはカルタゴ、ローマそれぞれに救援を要請した。
最初に介入したのはカルタゴ。しかし後からローマも救援を口実に、メッセネ市へと軍を派遣するが……。
一連の記事では、シチリア領を拡大したいカルタゴと、メッシナ海峡の制圧を恐れたローマが、シチリアをめぐる争いから全面戦争へと突入し、やがて泥沼の抗争へと変化する23年間の戦争を描く。
第一次ポエニ戦争から第二次ポエニ戦争中間期
第一次ポエニ戦争でローマに敗れたカルタゴは、重い賠償金を口実に、戦時中に雇った傭兵たちの給金を値切ろうとした。しかし傭兵たちをひと所に集めるという愚を犯したせいで、傭兵たちの不満はいつしか暴動へと発展していき……。
一連の記事では、第一次ポエニ戦争後に復興を図ろうとしたカルタゴが、失策で建国以来最大級の反乱を経験する『傭兵戦争』と、その経験で力をえたバルカ家がイニシアチブを握り、スペインの経営に乗り出す様子を描く。
第二次ポエニ戦争
サグントゥムへの干渉は控えるように
カルタゴ・ノウァに訪れたローマ使節団は、まだ攻略の着手もしていない都市について、バルカ家新当主ハンニバルへ要求を突きつける。エブロ条約の拡大解釈とも取れるローマの言い分に、スペイン攻めの危機感をつのらせたハンニバルは、ローマとの開戦を決意。カルタゴ政府に承認を取り、サグントゥム攻略へと乗り出した!
一連の記事では、ハンニバル戦争とも呼ばれる第二次ポエニ戦争が、どのようにして起こったか、また稀代の名将ハンニバルを擁するカルタゴ優勢の状況から、ローマが国力差を背景に戦況をひっくり返し、ザマの決戦で両者の決着が着くまでを描く。
第三次ポエニ戦争とカルタゴの滅亡
第二次ポエニ戦争終了後、地中海世界ではローマの覇権が徐々に確立していく。またカルタゴは隣国ヌミディアに、その領土を侵されていた。戦後、驚異的な復興を遂げたカルタゴだが、その経済成長がかえって仇となる。
カルタゴは滅ぼさねばならない
大カトーの扇動で、ローマ国内が開戦論へと傾く中、ヌミディアの侵略を見かねたカルタゴ政府は、和約条項を無視し、ローマの許可なき戦いへと踏み切った。ついにローマは、カルタゴを滅ぼすことを決意する――。
この記事では、第二次ポエニ戦争終了後の地中海世界の変化を説明するとともに、ローマ政界の事情というローマの『内側』の問題と、ヌミディアのカルタゴ侵略というローマの『外側』の問題から、ローマがカルタゴを滅ぼすに至った経緯を描く。